昭和47年12月26日 朝の御理解 大坪かよこ
御理解第89節
此方の道は傘一本で開くことができる。
元手なしで商売がでける。元手が無からなければ、商売は出来ん、という人もありますけれども、やはり元手なしんでも、商売がでけるほどしにやはり商才というか。
私どもでも、北京から引き揚げてまいりました時に、何もない中に、資本なしんでも、商売はでけると、というような一つの自信のようなものを持っておった。
天秤棒一本あれば、商売はできるんだと。
此方の道は傘一本で開くことができる。ここのところを信心を段々頂いて分からして頂くに従って、神様を信じる力というものが段々でけてくる。
神様を信じるということは、安心、神様を信じておるから安心とこういう。
ね、いわゆる不安はない、心配はないと、いうような。
けれどもその、神様を信ずるというても、やはり限度と言うかね、もうこれは計り知れないものですからね、信ずるということは。
百信じておる人もあれば、五十信じておる人もある。十信じておる人もある。それでもやはり信じておるんである。
安心と言う傘を持っておれば、いつでも開かれる。
雨が降り出したら、開けば良し、日が照りだしたら、開けば良し。
暑い思いをせんで済むんだ、ぬれないんで済むんだという安心があると。
ところがこれは、もうそれこそ指南というほどしに難しいことだと、ね。安心の傘なんていうのは。
今日私はここの、傘一本で開くことができるというのは、それの安心のおかげを頂いておるという、その一つ手前のところ、教祖様が、この方の道は、喜びで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせんと仰せられる。
喜びということは、女の出産のとき、ね、喜びとは、金光様の御信心を頂いておると、例えば出産のおかげを、時に安産のおかげを頂かれると、さえ言う人があるくらいに、四国当たりでは、金光さまというお産の神様と言うほどしだそうですね。
そういうところから、あの、でた御教えであろうと思うけれども、この方の道は、喜びで開けた道と言うのは、私どもがあの喜びを感ずる、有り難いと思う、そういうことだと思う。ですから私どもがね、一切を喜びで受けさせてもらおう、有り難いで受けさせてもらおうという、決心がついたら、そこから道は開けてくる。
阿倍野の伊藤先生が、まだ、お若い、十代のとき、お若いときに、どのようなことでも喜ばしてもらおうと決心された。
普通では喜べないことでも、喜ぼうという決心をされた。
意地の悪い、継母が子供に、お魚があっても、頭だけしかつけん。ほんな頭のところだけしか、お菜につけない。
普通のもんだったら、お母さんこんな頭ばっかりは食べられるか、というでしょうし、またいわんにしても、心の中にほんとにこんなにしてまで、いじめんでよかりそうなもの、こんなにしてこなさんでんよかろう、それこそ、にんめんやるかたなしというところである。
ところが、そんなこと・・?お母さんが自分に、ね、成功させようと思うて、人の頭になれ、人の頭になれと言うて、思うて頭だけを付けてくださると喜んだと。
そこでお母さん次には、しりっぽだけを付けた。お魚のほんとしりっぽんとこだけを付けた。
ね、ところが、その子供は、ほんとにお母さんが自分にね、あれはおうという、しりっぽのことを大阪辺りではおうという。
それでその自分におうになれ、おうになれと言うて、あの、しりっぽだけをお母さん付けてくださる、有り難いと言うて頂いた。
それで、今度は真ん中の身のとこだけを付いだ。自分のような者に、こんな身のとこだけを食べさせてもろうて、有り難い勿体無いと言うて頂いた。
という話を聞かれたときにです、ね、いうなら、笑い話のような話だけれども、伊藤先生のその心の中に受け止められた、受け止め方というものはです、私の一生はこれで行こうと決められたと。
そこに阿倍野の先生の偉さというか、現在の阿倍野教会のああした御ひれいが、のもとは、それなんです。
ん、それで私は思うんですけれどもね、信心させて頂いておって、残念とか無念とかと言ったようなことが、あってはならないということです。
ね、・・?やるかたなし、ね、もう人の前で、恥ずかしめを受けた。残念、血の涙が流れるような、もうこの世にも生きてはおられんというようにです、ような人すらがある。
もうあれがあんなことを言うた、無念だ残念だ、もうあれとは絶交だと、言うようにして、自分の世界というものを狭めていく人が多い。
私どもはおかげを頂かなければならない。
ですから、場合にはそれが、ほんとの喜びではなくても、うそにでも良いから、有り難い有り難いと、いわねばならないような時もある。
無念である、残念である、けれども無念残念の心を打ち払うて、ね、深い神様の御神慮に違いはないと、それを有り難い有り難いと、嘘んでも言うておるうちに無念残念が消えて、いつの間にかやはり、有り難いということになって、やっぱり有り難いことであったと体験さしてもらうよう段々なってくる。
ですから、私はこれなら、おたがいがその気になったらね、傘一本で開くことができるほどしのおかげが頂かれると思うです。
この元で一つ、喜びと言う天秤棒一本で、商売がでける。
安心のおかげ、私は、今まではここんところをそういうことを説いてきたが、安心のおかげというものは、ま、これはあらゆる宗教に言えることでしょうけれども、仏教なんかではここんところを大安心とこういう。
安心のおかげなんていうものは、そりゃもう、大変な修行、または、体験を積まなければ、安心のおかげなどということは、でけません。
昨日、研修会で、本年最後の研修会でしたから、ま、それにふさわしい、ま、いろんな研修がありました。
最後に日田の綾部さんが、私の信心、私のまーだ、たった三年にしかなりません。
まーだ三年にしかなりませんけども、三年間の信心を聞いていただくというて、お話を聞かせてもらった。断片的には皆聞いてきたけれども、三年間の信心を、語られるというのは初めてであった。
テープにとって置きたいごとあったですね。これはどうでもひとつ、この自分の信心の記録だから、何かにまとめておきなさいよ、って私、昨日言ったことでした。
ね、初めは、あの高芝さんたち夫婦に、自分のところの、今度新たな店を作るから、そこの責任者として、来てくれないかという相談、誘いをかけた。
なら、ちょいと、ま、そのことは待ってください、親先生にお伺いをしてから御返事しますから、ということであって、とても現在お商売をしておるし、そんなに簡単に、はいと言うて来るとは思わなかった。
ところがその後に、合楽の親先生にお届けさせていただいたら、日田行きが良かろうということを頂いたから、もう今日にでもお商売を止めて、こちらのほうの店にこらせてもらうということになった。
もう綾部さん実はびっくりされた、ね、皆さんも御承知のようにシャンソンの代理店をしよんなさいましたから、沢山売り子さんなんかもおられまして、売掛代金なんかでも、さあ、ちょっと、いまさあ止めるたって、大変だろうと、ね、言うのを、そういうこともすっぱと止めてしまった。日田に行くからには、もう家もいらんというて、家屋敷うってしもうて、日田さん行かれた。
もうこれには私も驚いた。合楽の先生という人は大体どんな先生じゃろうかと、こういう人生の言うならば、重大事をです、たったお伺い一つで、日田行きがよかろうと頂いて、それを止められたと言う、止めて私のほうへ来ると言われる、その高芝さんのその決断と言うか、そん決断させなさる神様と言うか、親先生という人が、どんな人だろうかと思うた。まあ来てもらって夫婦でしっかり責任持ってやってもらうから、ね、ありがたいことに段々なってくるので、ま、一辺は、私も御礼に行かなきゃ行くまいというて、お礼に合楽にこらせて頂いたのが、ま、いうならば、ま、運のつきだったと言うわけです。
ね、そしてま、いわれることなさること、ん、は、金光様の信心ちゃ、まあ、有り難い神様たい、という程度のことであったけれども、一年間はそれこそ好奇心一杯で、お参りをしたと言っております。
そして他の信心を長年しておると言う人たちの信心が、おかしいしいぐらいに見えてきた。親先生、私はもう、毎日こうやってお参りするけん、たん便にお初穂するとはせからしいけん、一年分まとめてお供えしていっていいでしょう、と言ったようなことを平気で言うておられた。
いやいや、そりゃもう毎日毎日、ずーっとお初穂させてもろうて、やはり、・・?するところに、思いも込められるし、真心も込められるのだから、一年分まとめてなんてんちゅうごたいかんよ、という意味が分からないくらいであった。
それは一年間、ところが二年目には、もう次々とお店の上に、人間関係の上に、大変なことが起こって来た。
もうあちらの十何人店員さんがおられますが、店員さんが皆、皆若い小僧さんぐらいの番頭さんまでが、自家用車に乗ってくる。通勤してくる。
それが、綾部さんの自慢のようであった。私も不思議に思うた。私も酒屋の小僧から番頭にたたき上げた男ですから、酒屋の番頭ちゅうものがどういうものか知ってる。
酒屋の番頭ぐらいで自家用車でそれこそ毎日、通勤してくる。しかし十何人のものが、皆自家用車で来るちゃ、私は不思議なこっちゃあると思うた。
そりゃもう家はそん代わり、店員を非常に可愛がるし、ね、、もう何でもおしかものはなかごとして、やる。
だから家の店員は、よそ当たりでは、店員さんが、ま、移り変わり代わったり、中々探してもないといわれるのに、私のほうだけは、もう、十何年も務めておる番頭ばっかりだとこういう風に言うておられた。
はあ、やっぱり綾部さんの徳だなと、私どん、思いよった。ところがどっこい、段々おかげを頂いたところが、そこにも大きな穴、ここにも大きな穴、こんなことしよるなら、
丸亀はつぶれるちゅうごとある、も事態になってきた。
もうそれを調べれば調べるほど、そういうことになって来た。
ね、・・?なってくるから、もう定員たちはもうどうにも出来ないもんで、それからとて、私はもうそれを追及して、取り上げよと言うたて、取り上げるものをもっとるわけじゃないから、ね、もう出てこんなら出てこんでええ、新たな番頭さん、店員を雇やぁいい、というようなことから大体、綾部さんとこの難儀と言うかね、その二年目の難儀が始まったんです。こりゃもう調べれば調べるほど、驚くばかりじゃった。
ね、次には人間関係、家庭の中の人間関係のことであった。
一番可愛いと言うか、もう娘さんに大体は養子を取って、あの店は、させたいと、非常に気の利いた利口な娘さんです、でしたから、もうその人に、こうかけとった。
ところがその人が、家出するといっなうたよ結果になった。
もうそれこそ、もう、あの、あいた口がふさがらんちゃこのことだろと、ただぽかんとそれこそ二時間あまり、そのことを考えて何のために、子供を育ててきただろうかろと思うて、もう、ほんとに涙もでらんごたある感じだった。
そういう問題が起きてくる、もう次々と、ま、難儀な問題、ね、それから沢山な金を貸しておられた、それがとうとう、相手が破産してしまわれた。
もう、丸亀はつぶれる、倒産と言う噂があっちこっちで飛んできた。
飛ぶというほどしの状態であった。もうあれやら、これやらがもういっしょんたくりんになった一年間であった。
もうどうにも仕様がない。それこそもう、親先生におすがりするよりは他にない、お任せするより他にはない。どうにも手の打ち様がないんだから。
ね、そう言う一年間、始めて、長年酒屋をさしてもらって、自分の女だけれども、たいていの男には負けん、やり手だと自分でも自負しておったのが、自分の力の無い、無力さ加減というものをほんとに分かった。
それから、ちょうど去年の一年前、でしょうね、酒屋の一番忙しいと言うときに、ちょうどもうその、断食修行をしよんなさいましたが、断食修行でもしにゃおられない、なんかすがらにゃおられない、熱心に信心もでけた。
ね、ちょうど年末の、いわゆる暮れの一番忙しいころに、急に体に異常があって、あの、ものが出らんと言う病気にかかられた。
酒屋の忙しい、いわば年末から正月にかけて、一番忙しい時です。それにその番頭たちに指図することもでけない、ものがでらない。それは正月の確か、七日、八日ぐらいまで、続きました。十日間ぐらい、ものがでらん。
そん時に始めて、黙って治めるとこの素晴らしいという信心を体験した。
かえって、自分がああだこうだと指図するときよりもただ、神様におすがりをさしていただくより他に手はない、ものが出らんのだから。
ね、そういう言うなら、不思議な病気にかからせて頂いて、分からして頂いたのが、黙って治めるということである。
ね、それは、自分が指図することよりも、より素晴らしい成績を上げるようなおかげを頂いて、ね、それから、いわゆる、娘さんのことについて、いろいろおかげを、いろんな問題が次々とあった。
もうほんとに、この一年間というものはです、ただ神様を知る、神様を体験する、とにかく親先生任せになっていくということがこんなにも、ありがたいことだ素晴らしいことだ、もう一切をお任せする、一切を有り難い有り難いで受けていきゃ良いことになってきた。
いう腹が決まってきた。これが二年め、いわゆる今年度、今年一年間がそうであった。
ね、ところがそれこそ、手のひらを返すように、子供さんの関係も、素晴らしいことに展開してきた。
これは家の長男はどうも、商売人には向かん、娘にかかろうと思いよったぐらいな、その長男が、えらい商売に熱を入れるようになった。
ね、昨日の話しじゃ、もう私がとやこう、どう言わんでも、結構、一義さんというが、一義さんが、一義が信心さえしてくれりゃ、言うことはないというところまで、おかげを頂いてきた。
これもそれはもう、ほんとに手のひらを返すような、改まりようであった。
ね、娘さんは、おかげで願ってもないところに結婚のおかげを頂くことになった。
もうそれは、任せると言うこと、一切を喜びで受けていくと言うこと、つい最近になったら、その、それこそ、何億からのお家がつぶれたんですから、それに巻き込まれてほとんどの人が、その財産を整理したところが、貸しておる、四割五分しか取れないことになった。ところが、綾部さんの所はもう全額返ってくることになった。
しかも、そのほかの債権者達から、もうお礼を言われて、かん、その元金じゃない、元利ともに返ってくるようになった。
ね、貸したつのほかんとこ沢山、何億という借金を、あの、貸してある人たちは、四割五分しか返ってこん。
ね、ほらもうとにかく、綾部さん、あたが参りよんなさる、合楽ちゅうところは、だいたいどういうところですかち、これが一段落したら、どうでん、私どんも連れて参ってくれと、皆が言うておる。
もう日田中にです、もう丸亀はつぶれる、という評判まで、たった。
そのために、つぶれるどころか、とにかくそりゃまあ、大変込み入った事情がありますけれども、神様のとにかく一切を、親先生任せで、もうどうしてそげん黙って、そんためには、随分、もう、けんけんそれこそごうごうであった。
けれども綾部さんのとこだけは、ね、もう一つ貫かせて頂いて、もう親先生がこう仰るから、私はそれには、かたらんといったような、生きかたでいかれた。
そして結局は、そういう金銭の、そういうような経済の問題の上にも、商売の上に、今年はもう、もうこの頃から、最近で一番最高の売り上げ。
去年は赤字だった。
今年は、最高の売り上げ、まーだ、今から、昨日のこと、今からまーだ、一千万は売れるだろうと息子が言うたとこういうておられる。年末までに。
もう去年という年は、だから、人間関係のことも、お店の状態のことも、そした、あの貸し借りの、問題でもです、あの一辺に、解決するお年であった。
という話をですね、こりゃ本人がなされるともう、ほんとに実感を持ってから、話されましたから、皆聞く者をして、ほんとに信心の素晴らしさを感じさせて頂いたんですけれどもです、ね、誰だって始めから言えば始めからの信心は、お互いおんなじようなとこを通るのでしょうけれどもね、その綾部さんの通られた二年目のところが違うです。
ね、度胸というか、任せきるというか、そして一切を喜びでさえ受けていけば、ね、有り難い有り難いでさえ受けていけば、道は開けるという確信が生まれた。
ね、というて今から考えてみてです、親先生はああ仰るけれども、とてもそれは、大変な難しいことだ、の、ばっかりなんです、どの問題だって。娘さんの問題であっても、その店の問題であっても、その沢山な金を貸してあるといいうそのことの問題であっても、どの一つをとっても、それこそ命に関わるほどしの、大変な問題ばっかりなんです。
ね、ですから、言うならば、まあ、半信半疑だけれども、ま、嘘にでも喜んでおる、嘘んでも、信心にただいとるけん、私は安心とこう言うてきた。
ね、そしてこのために、丸亀がつぶれるなら、つぶれたってかまわんという度胸でです、いうならば、喜ぶこと一つに焦点を置いて、一年間を過ごさせて頂いた。
ね、そこには言うならば、無念も無からなければ残念も無かった。
そう言うことになったおかげでです、ね、店は大改革がでけた。
そう言うことのあったおかげでです、自分のこの娘にかかろうと思っておった間違った考え方が、一掃されてです、ほんとに長男にかからして頂く事、その長男がもう大丈夫というような商売人になってくれたこと、また長女としてもです、ね、当然嫁にやるならば安心のでけるところという、そこのもう願ってもない、願ったり叶ったりというような、願ってもないところに良縁を頂いた。
今時どんが昨日はなしておられましたが、結納金が三十万じゃった。
ほりゃもう仲人さんが腹かいてから、例えば綾部さんところあたりの家からすれば、また先方の大きな物持ちですから、からいうならば、今までの私ならばです、もうそれこそ馬鹿にしとると言うて、それで結婚はおしまいんいなっただろうと、ところがもうそれこそ、もう有り難い、有り難いで受けていったという話をしておられます。
そして結局はその後の経費を全部、向こうが持たれた、いやー、もう、うちで何もかにもやられたから、結局は、百万の結納金をもらったような結果になりましたという話もしておられました。
ね、その時点をです、とにかく有り難く受けていく、ね、その時点を大事にしていくと言うこと。
言うならその時点を、喜びで受けていくという、傘一本で開くことができる道なんだ。
まだようやく三年、の信心でです、ね、ま、ようそこまで、信心が成長されたなと、思うほどしの、お話であり、事実私が、その通りお取次ぎさせて頂いておることでございますから、ね、まだ、もうお話しするなら、いろんな、場合があった、その都度都度に御理解頂いては、安心、御理解を頂いては、ここは不平不足で受けにゃならん、喜びで受けていかなきゃならんというような、生きかたで、道を開かれた。
新たな丸亀という店が出来たような感じである。
ね、この調子でいけば、ほかのこれからの、いろんなどんな難しい問題があってっも、お任せしきっていく信心の度胸、信心の修行さえさして頂いとけば良いという確信が持てれようになったということ。
その辺が誰よりもすきっとしておられたし、またはその大きな問題が一辺にですね、その経済人間関係、そした、お店全体のことといったような問題が重なり合ってからの、難儀でしたけどもです、それを一つ一つお任せするということ、喜びで受けていくて言うことの素晴らしさを感じられて、ね、ほんとにあの人にこうしてやって、反対のことで返ってくる。とにかく残念である、無念であるといったようなものが一つも、その、そういう難儀の中に感じておられないということ。
ね、ほりゃ、ほんとに娘さんが、しばらく家を出られたときになんは、もう、ね、大変なことであっただろうとこう思う。
ところがその、あちら、四才のときに、から踊りを教えられて、お師匠さんもよいお師匠さんに段々つかれて、ほりゃもうみごとな、あの踊りの師匠の、としての、芸も身に付いて、そりゃもう、お母さんの趣味、好みで教えられた。
そして皆さんが今、あのお参りなさって、新しく建てられた、わざわざ、いわば稽古場、舞台を造られた、桧造りのそりゃ見事な舞台を造られた。その娘さんのために。
毎日人にあの、教えられますために。
そういう例えば、命がけで、もうその舞踊の稽古をしてきた、親もそれが楽しいで、今日までこられた。
そんためにわざわざ、桧舞台まで造られた、というようなあの気の入れようであったのをです、ね、親先生が舞踊は止めさせなさい、というたった一言で、やめてしもうた。
だからそういうところが人の真似んできんとこですね。大体、ね。
そして全部、お神様の間に改造してしまわれた。随分金をかけられて。ね。
そういうところが、ほんとにあのすきっとしていますね。やはり、ね。
も、そん時なんかはもう、ほんとに、あの娘さんなんかは、仕事が手につかなかった。止めれて言われて。それっきりほんとに止めてしまった。
ね、だから信心にはそういう、私は純粋さと、度胸と、ね、そしてそれから生まれてくる体験を、体験をふんまえてです、ね、あのときああいうことですら、あのようなおかげになったんだからと、次の問題も、その時点でそれを有り難く受けて行けれる信心ならです、本当言うたらさほど難しいことはなかろうと、私は思うんです。
ね、安心のおかげというようなことは中々ですけれども、その時点時点をです、とにかく嘘んでも良いから喜びで受けていくという生き方から、それがほんとの喜びに段々なってくる。
そういう喜び一本で、言うなら、喜び一つで、開ける道なんです、金光様の御信心は。
そこで私は皆さんに思うのにですね、はー、残念なことじゃある、無念だと、というようなものがです、私どもの日々の中に、またこれからの生涯にです、あってはならないということなんです。
金光様の信心しとりゃね、無念残念ね、それこそ無念やるかたなし、もう残念至極といったようなことは、金光様の信心さしていただく者の上にはです、いや合楽で信心のけいこさして頂くもののうえには、これはあってはならない、もしあるとするならばです、ね、それではまだおかげが受けられんと知るが良い。
ね、今日は私はこの89節から、私どもの日常生活の中から、無念とか残念といったようなものがね、無くなってしまうほどしの、おかげを頂きたい、だからその引き当てに頂けるのが、またその引き当てに頂かなければならんのが、喜びであり、有り難いである。
ね、それ一つで、ね、道が開ける。
そこでですなら、安心のおおみかげといった、安心のおかげなんていう、大きな信心ではなくてです、もうこれから、私の一生は、これで行こうと腹さえ決めりゃ、誰でも、どのような道でも開けるということが分かります。
ね、昨日、桜井先生が発表しておられました。
皆さんも御承知のように、非常に細かい、それこそ水も漏らさんような考え方と神経、ちょっとした事柄があってもそれをすっと自分の胸のうえにもってくる。
ね、例えばかも居で頭を打つ、あいった、という前に神様すいません、どこにお粗末があるか、御無礼があるだろうかという生き方。
ね、ですからこの生き方を素晴らしいけれどもです、桜井先生、あなたのそこのにきが、ね、あの、それではおかげを受けられませんっよと、信心は深められて行く、けれどもおかげにつながらない。だからその時点でですね、かも居で頭を打った、あいったちゅうときに、有難うございます、ちゅう生き方でいきなさいち私が。
ね、そしてその後に、よくよく考えて、は、ここもあらたまらにゃいかじゃったな、ということを後にしなさい。先にね、たたかれた、あいたっ、という前に、有難うございますという生き方でいかにゃいかん。
ね、関さんじゃなかばってん、田んぼに落ち込まれるときに、ありがとうございます、と。おかげで怪我もせじゃったち、いつか体験発表されたことがありますよ。
ほー、随分深いとこなんですよ。しかも冬。飯田のあの曲がり角の深い石垣がある所ですね。自転車で飛びこんどりなさいますよ。
という有難うございます、ちゅうちから、飛びこまっしゃったげな、そいからもうぬれしぼたになって、近所の百姓屋さんに飛び込んでから、そこから、ほー、ようこげんところからあーた、おてちから怪我しなさらじゃったですねち、もうおかげ頂いて有難い、有り難い、ちょいと着物ば貸して下さい。ちよと、椛目にお礼にでらなんちゅうとじゃけん、ほー、椛目ん金光様ちゃ、妙な神様のちゅうち笑われた、ほんでおて込んで水にぬれてから、そしてよそん着物かってから、まーた椛目にお礼に出るち、ね、その生き方なんです。ね、たたかれて、もう有難うございます、というような、その豪快なと言うかね、そういう、生きかたでいけばね、こりゃもうすぐに、おかげにつながるです。
ですべてを有り難い有り難いで受けていく。
ね、それをたとえば、なんか、ね、陰にこもる感じがしますね、たたかれた、はー、神様は何を分かれといよんなさるじゃろうかと思うて、じーっと、自分の心を見つめる、とこういう。ね、働けど働けど、我が暮らし楽にならざる、じっと手を見る、ちゅうとこじゃけんいつまでも手を見とる。
ね、ですから、そういうとこを有難うございますで受けていくと言う、生きかた。
そういう、それ一つでです、おかげも受けられる道だということです。
だから今まで頂いてきたここは、安心、なるほど安心のおかげを頂くならもちろん、それはどげな道でん開けると思います。
どんな、けども、その一つ手前のところをです、それこそ阿倍野の先生じゃないですけれども、それがまだでけとるわけじゃないけど、決心することなんです。
これから先、私の生涯にです、ね、もうこれでいこうと決められた。
私の一生は、ね、これでいこうと決められた。そこに、なら阿倍野の御ひれいがあるようにです、ね、喜べるためには、どげな理屈つけちからでもです、ね、頭んなれ、頭んなれというて、頭だけ付けて下さる、というようなおかしいような理屈をつけてでも良いから、それを有り難く受けていくと言う生き方でね、いきさえすれば、これなら決心すれば、誰でもできるということ。
ね、そこから道が開けると仰るのですから、ありがたいです、ね。どうぞ。